「人は記憶でできていると思っていた。」から改題しました。
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週末の食事にはもう一つの側面がありまして調理があれば洗い物がある。

ご飯を出していただいていた間洗い物は私の役割だった。
いや当然ですどってことないです喜んでやらせていただきますぜんぜん抵抗はありませんほんと。
しかし決まりきった会話が毎回つきまとう。
へーちゃんは言う。「いいのよ、へざーちゃーーん。流しに置いといてもらえればー」あるいは
「いいのよあとでゆっくり私がやるから放っといてーー」
私「いいんですーーせめてこれぐらいーー(とかなんとか)」

結婚数ヶ月目、へーちゃん曰く。「○々さんとこのお嫁さんたらね、掃除とか洗い物とか、ちょっとこっちが遠慮して“やらなくていいのよ”って言ったげると真に受けてなんにもやらないんですって。いやああねえええ」

……どっひーーーー!!!うきゃあーーー!!
なんて恐ろしい!!!
やっぱり真意はそこにあるのか!
これはやっぱり単なる様式美だったのか!!!

以来どんな優しいことを言われようと
必ず洗い物はしましたさ。
風邪引いて寝込んだり、乳児育てで心底へばったりしてパスした数回を除き。

そして………
この「様式美」、へーちゃんの強い「こだわり」となって今に至っているのです。

私が台所に洗い物のために立つ度にばばが
しつこくしつこくしつこく繰り返す。「いいのよわたしがあとでやっとくからへざーちゃん座ってなさいよ適当にしといてそこらへんでもういいわ」×∞。
居間から叫ぶように言い続けるか、背後に立ち追いすがるように言い募るか横に立って繰り返すか。

念のため書き添えますが、今のへーちゃんに洗い物は無理。
どこかにつかまらずには立ってられないし、つかまっても終始ぐらぐらしてる。
何とか頑張って洗ってあることもあるけど(驚くね!)
……月に一回お皿が2枚、が限界。
大人ほぼ4人が食事した量を洗うなんて無理。と決めつけることなく「じゃ、お願いします。と言い放ちたい誘惑を振り払い、ああ、この週末も「善意の言いつのり」(?)をどうにかやりすごさねばなあ。
口を開くと「うるさいっっっ」と振り払ってしまいそうになるので黙々と洗ってしまう。
果てしなく繰り返される病的な言いつのりに辟易するのは、普通の反応ですよね?
親切心に欠けているにしても。……「いいんですよ~~」「あっはっは、へーちゃんたらもう頑張っちゃって~~」等々と笑い飛ばして流す親切心。
もう20年もやってるんです。いい加減黙って洗い物させて下さいよ……いつも悪いわね、ぐらいでさくっとやらせて欲しいんですよ……。

(あののろいの呪文みたいなの、言ってるとへーちゃんは何か気持ちがいいんだろうか?「ヨメに親切な自分」のイメージの補強?
私ものろい返しの脚本を書いて延々と返していればいいのかな?「いいんですよゆっくりしててくださいこれぐらいどってことないですいいんですよ、ゆっくりしててくださいいいんですよゆっくりしててくださいいいんですよゆっくりしててください」
ああ「姑に親切な自分」のイメージの補強にもなりゃしない。はははははは。)


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【2009/11/12 14:51】 | ’08.4.10以降
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毎週土日の夜はみんなでご飯を食べている。
みんなってのは、じーじ、へーちゃん、私、だんな、やがてうちの息子が加わり、じーじがいなくなり、
それでも続く20年来の習慣。アパートの2階から1階の「実家」に出かける私たち。
苦痛だったことも多少……。だいたい新婚なのに週末の夜を二人で過ごせなかったんだよ……。
義父や義母と“じか箸”で鍋やすき焼きを食べるのも慣れることができず。

良かったこともある。なにせ楽。夕飯の支度をメインでしなくていいんだもん。
それをいいことに、それを前提に出かけては夕飯時に駆け込んで食べさせてもらったりね。
一応言い添えますともちろん月々、食費を上回る生活費を入れて。
それがなくとも義父義母は年金の恩恵をものすごく受けていた方々で十分どころかうらやましいような額を受け取っていた。
もちろんそれは彼らがご夫婦共々まじめに長く働き続けて来て得たもの。
にしても、「ま、経済的には何の心配もないよね」なんて頭(計算高いヨメだ)もあって、大いに甘えていた。

でもそのうちメニューが買ってきたお総菜の短いローテーションになり、
ああこれは作るのが大変になってきたんだな、と「もう食事は私がつくりますよ」と申し入れた。
でも言っても言っても固辞され続け。
おかずを作って強引に持ち込んでも口に合わなかったりね……。作り直されたりね……ヨメの哀愁もたっぷり味わってね……。
あくまでオカアサンとオトウサンを立ててね…。やりすぎてもご不興を買うし…。あれやこれや悩みつつの週末の攻防。
そしてまたじじばばは一生懸命ご馳走をそろえて下さるんだわかるんだすごく。
でもさすがに毎週土曜日は100円のレトルトハンバーグで日曜日は4人分で900円ぐらいのウナギだと、すみませんこんなこと言ってほんとに罰当たりだけどすごくつらかった。
なぜ予算がこんなに安いんだろう?意欲はともかくとして。
ううん、食で苦労したじじばばにはこれがご馳走なのよ、もっとおいしい物があるなんて、世代間ギャップなんだわ、なんでもおいしいです!って食べなくちゃ、と思ってた。
(後から思えば、ばばがギャンブル中毒に陥って、貧窮してたんですが。)

介護するとき、「今までお世話になったから」と思えば何とか続けられるものだなんて聞くことがある。

私もそれはおおいに思いましたとも。
でもそれでも時々ご飯づくりがめんどさくなっちゃうんです。
どんなに工夫を凝らしても、おいしがってもらえない。どころか食べてもらえない。
もちろん食べづらさには理由があって、食べられないへーちゃんの心配をこそするべきだ。
でも料理を捨てる時、ため息が出ます。
どーしたもんだかなーと軽く途方に暮れる。

そして私は計算する。今まで何食ご馳走になったろう?(=A)
そして私は何食作って運んだかしら?(=B)。
すでにBがAを大幅に上回っていることで、だいたいご飯の恩義は返した……なんてわざと思ってちょっとほっとしてみる。数的な救いをせめて追ってみる。
料理は愛に基づく技術の研鑽だー、と思いつつ技量が追いつきません。
今日も今日とて悩み選び刻み煮込み捨てるのでした……。

(時々宅配頼んじゃおうかな?いやいや、味付けも材料もヘーちゃんは限定的だからなあ。
そこまでいかなくとも、買ってきたお惣菜をアレンジすることもたびたびあります。
自分が作るより捨てる時気持ちがちょっと楽。いや、同じか。ヘーちゃん用に奮発した一切れ300円のいいしゃけなのに、なんて頭をよぎるからな。………。)

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【2009/11/11 12:48】 | ’08.4.10以降
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