「人は記憶でできていると思っていた。」から改題しました。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

認知症についての情報はこれだけ
世の中に溢れているのに
へーちゃんはどうして自分で自覚的に動けなかったんだろう?
私はそうはならない!って
いろいろ取り組んでいたら
随分違っていたんじゃないかな。

‥‥‥でも3重の意味で
へーちゃんには情報が届いていなかったんだね。
ひとつめは、自分こそがそういう話題の当事者だと自覚するには多分もう遅かったのだ。(今85歳のへーちゃんに始めて会ったのは60歳。
今思えばそのころからもうヘンだった。失礼。誰にも言わなかったけど。
それからゆっくりゆっくり進行していたんだと思う。
驚異的なゆっくりさだけど、そう思う。
ゆっくりだから、長いこと家族の誰も認知症とは思わなかったんだ。
「性格」だと、「そういう人なんだ」「中高年はこんなもの」だと思っていたんだ。私も含めて)
自分で「なんだかおかしいな」と気づき
建設的に自分で対策を講じるような習慣はなかったということもある、失礼ながら。
というか、そういう風に考えを組み立てられないのが認知症なんですね。
自己過信もある、失礼ながら。(「お産以外で入院したことない」ってのが自慢だから)

ふたつめは、私が自分で積極的に
ネットや本やセミナーやヘルパーの友達から情報を漁るからこそ
一見世の中に情報が溢れているような
後はうまく探し当てればいいだけのようなイメージを私は持っているけれども
それは私がまだまだ頭も手足も健康でよく動くから。

当の当事者には
「QOL」だの「介護予防」「ヘルスプロモーション」だのなんて全然届いていないのだ。
あ!今はボケとか痴呆とは言わないで認知症って言うんだってことも
きっと知らない。だって言い換えたの2005年だ。わかるはずない、そのころのへーちゃんは既に‥‥。
メディアリテラシーとかって以前に
用語が老人に届きやすいような語彙じゃないのよ。
今の60歳の方なら難なく理解されるだろう、
でも大正生まれのへーちゃんには無理。

PC操作なんて論外で
病院にもいかず本も読まず
外出はパチスロと買い物だけで
スポーツ新聞か
一般新聞も主要記事しか読まなかったら
情報の門口はものすごく狭い。
テレビは昔からさんざ見ていたけど
介護予防の番組なんか「自分は関係ない」と思っていれば目に入らないか、無視するよなあ。

それより何より雑談したり共通の趣味を持つ友達がひとりもいないこと!
これが何より痛手。
これが三つめ。
日常的に共感したり情報交換したりという友達がひとりもいないなんて‥‥。
友達と「認知症とか寝たきりにはなりたくないものよね」
「そうよね」なんて話すのが一番心に情報が届きやすいと思うんだけど
その道が遮断されていたわけです。

良い友達づきあい。人とのつながり。
それが
老いたときにはなおさら
何より大切なものではないかと私は思うのですが‥‥。

(もちろん友達に期待しすぎてもいけないですけど
笑いあえるのが何よりですよね‥‥)

にほんブログ村 介護ブログ 認知症へ
スポンサーサイト

【2008/05/08 10:33】 | ’08.4.10以降
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。