「人は記憶でできていると思っていた。」から改題しました。
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ところでへーちゃんは
日々、あまり楽しそうではない。

どころか
「死にたくても、死に方がわからないのよ」とか
「目も耳も衰えて、こうやって段々死んでいくのねえ」とか「もう死んじゃうからいいのよ!!」とか
オッシャル。

段々そのたびそのたびのフォローにも疲れてしまい
最近は「はあ‥‥」なんて生返事が増えている私。
へーちゃんのせめてもの自己存在確認なんだろうか。
そんな必要ないのに。
(とは家族は言えないか。「もっとかまってよ」ってことかもしんないからなあ)

せっかく生きているんだから、堂々と遠慮なく
楽しんでいて欲しいんだけど
そうでもない。

こっちは何とか楽しんでもらおうとしているのにっっ
なんて
よくむかむかしたもんだけど、
皮をへだてて別の個体、別の脳みそ、
その中でどういう思考が繰り広げられるかまで
どうにかできるもんではないのよねえ。

しょせん、
へーちゃん自身の力によるのです。
そう思わないと
こちらの傲慢でもある。

なるべくなるべく
良いようにもっていく、
できるだけのサポート、がせいぜいであって(それさえもなかなか‥‥)
本人以外の人間が
本人の心の持ちようをどうこうはできない。

ということが身に沁みるここ何年か。

だからなおさら
へーちゃんには
「しっかりして欲しい」んだけど。
しっかりできない、やりようがあるということがわからない、
ということ自体、
認知症の症状なんだ、と、わかる、というか達観するまで
へーちゃんには腹が立ったなあ。

だってともすると単に
「怠慢」「自堕落」「性格が悪くなった」って見えるんだもの。
どうしてそんなことぐらい、しないんだろう?
やればできるのにどうして?
どうしていつも同じ愚痴ばっかり言ってるんだろう?
ほんとに忘れちゃったの?
とぼけてごまかしてない?
確信犯じゃない?
人の話聞いてないんじゃない?
と、ほーーんとに腹が立ちましたさ。
そうでなくてこれは「認知症」という症状なんだ、と
常に常に繰り返していなければ。
これを忘れると
壮絶なけんかをしてしまうし
双方傷つく。うちの場合。とくにダンナ。
いまだに
認知症の人を相手にしていることを忘れて
軽くぶちぎれる。
そんな時、距離をとらせるのも私の仕事だ。


認知症のこんなほんのトバグチであっても
家族の困惑と混乱は結構きつい。
トバグチだからこその独特さ、というのもあるかも。
(いっそまったく何にもわからないならかえって楽か?なんて思うこともあるけど
決してそんなことはないね、多分)

けど、それでもやはりまだまだ入り口なんだろうな。
ほかの方のブログ読んでると
うちってまだ牧歌的かも‥‥と
思います。長ーいため息とともに。
(介護中の皆さん、ご自愛くださいませ。)


にほんブログ村 介護ブログ 認知症へ
スポンサーサイト

【2008/05/01 11:40】 | ’08.4.10以降
トラックバック(0) |
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿
URL:

Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可
 
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。